HISTORY

1972.3東京芸術大学デザイン科卒業時
1972.3 東京芸術大学 デザイン科卒業

これが僕の原点。卒業制作。

テーマはN.Y.のダウンタウンのストリートにある「壁」。古いビラの上に、どんどん無造作に新しいビラがはられていくおもしろさを「モノクロ」で表現したかった。毎日、毎日せっせと教室で、謄写版を使って無数の「ビラ」を印刷。展覧会前日に、テニス部のみんなに手伝ってもらい、それこそ好き勝手にはってもらった。普通では考えられないスペースが効果絶大だったと感じた。好評で、『朝日新聞』、『コマーシャルフォト』、『アイデア』に作品が写真とともに掲載された。

卒業制作
1972.4  (株)J.W.トンプソン入社時
1972.4 (株)J.W.トンプソン入社

どうしても外資系広告代理店に。

TVCFと平面媒体を一緒に企画出来る所という点で最初から外資系の広告代理店に決めていた。会社訪問の時も、英語が飛び交い、案内してくれたディレクターもとてもスマート。新卒者を募集するとわかった時はとてもうれしかった。無事入社をしてからは広告の「いろは」を徹底的にたたきこまれた。学校の授業ではまったくといって実作業は教わっておらず、上司の小池玲子氏から手とり足とりのレッスンの毎日だった。プレゼンテーション、撮影、実制作と砂に水がしみこんでいくようにどんどん「広告」が好きになっていった。

山登り
1973.1  ヤング&ルビカム(株)入社時
1973.1 ヤング&ルビカム(株)入社

心を動かされたある人の言葉。

森重利直氏から「男子一生の間で会社を立ち上げる機会にめぐり逢えるのは一回あるかないかだ。」と誘われてY&Rの設立に加わる。英国のアートディレクター、デイビット・ツリー氏にプレゼンテーションテクニック、カンプの描き方、撮影プランの作り方等マンツーマンでレッスンを受けた。なんと夜中、英語でおこられている夢まで見た。右も左もわからぬままロケーションにもどんどん行かされ、今想うとドキドキの連続だった気がする。故・藤原利洋氏と一緒にやった「ドクターペッパー」の仕事がメインだったが、アルバイトの形で毎日夜間にやった「ローリングストーン」誌のレイアウトもいい勉強になった。

当時の永井
1977.1  (株)J.W.トンプソン入社時
1977.1 (株)J.W.トンプソン入社

あっと言う間の10年間。

中島祥文氏のもとで3年間やった国際羊毛事務局の仕事。東倉氏と組んだKODAKカラーフィルムの仕事。とくにKODAKでは100万通の応募があったジャンパープレゼント、モンキーズを使いゴールドディスクをもらったグラフィティーシリーズ、所ジョージを使用したキャンペーン等、楽しい仕事の連続だった。その間に広告賞コンクールに応募したり、エディトリアルやコンサート等のアルバイト。30歳を過ぎ自分のグループを持ち、管理職というまったく別の要素を経験したりと、本当にあっという間の10年間だった。

所ジョージをはじめとする制作スタッフとの集合写真
1986.10  (株)東急エージェンシー入社
1986.10 (株)東急エージェンシー入社

一度は行きたかった日本の広告代理店。

元J.W.トンプソンの麻生哲郎氏をたよって東急エージェンシーへ。とにかく山のように仕事があった。ほとんどの仕事は競合の連続。どれだけ優秀なプロダクションと仕事が出来るかがカギ。逆にラフ案を描いていると上司からおこられたりもした。コンセプトを決め、表現案をプロダクションと一緒に考えるという新しいスタイルも経験する。ハンティングワールド、コーセー化粧品、ヤマト運輸、カメリアダイアモンド、クリナップ、イタリア政府観光局と外資系代理店では味わえないダイナミックなクリエイティブ体験に喜びを見い出していた。

ユーミンコンサートパンフレット
 1989.4  (株)パラダイス  設立時
1989.4 (株)パラダイス 設立

最初は名刺を出すと笑われた。

自分の事務所を持つなら「パラダイス」と前から決めていた。 大好きなパームツリーのマークも。初対面の人に「呑気でいいですネ」と何回も言われた。仕事は最初はほとんどが東急エージェンシーからのもの。その後、第一企画、博報堂、電通とふえていった。デザイナー集団なので、コピーライター、カメラマン等のスタッフは仕事にあわせてそのつど選択するスタイルをとった。担当スポンサーも担当者が変わったり代理店が変わったりと、どんどんサイクルが短くなってきていた。

1996年年賀状
1998年年賀状
2002.4  (株)パラダイス
2002.4 (株)パラダイス

仕事が、どんどん多様化している気がする。

もともとエディトリアルは大好き。自由だし、鋭いし、そして反応が早い。今でも、校正の時のワクワク感はたまらない!ロゴマーク、パッケージ、装丁も一人でコツコツやる作業は誰にもじゃまされない自分の時間。広告とは違ったよろこびや空気感があります。最近、商品開発や、企業のコンサルタントらしき仕事もふえ、仕事がどんどん多様化してきているのが現状。Macを覚えたり、マーケティングの勉強をしなおしたり、本を書いたりと、いくら時間があっても足りない。

Lightning誌表紙
Free&Easy誌表紙
現在

感性も、デジタルの時代かも知れない。

雑誌の立ち上げ、HPデザイン、バナー広告、ポータルサイトの立ち上げと仕事のスタンスがどんどん変わっている。 ますますクリエイティブは、立体的、多角的になって行くのだろう。若い学生達との会話も刺激があり、自分の方が授業料を払いたいくらいである。もっと、もっと書きたいテーマもいっぱいあるし…。新しいメディアという事で毎日が新鮮だし、しばらくはこのワクワクドキドキを楽しみながら仕事にはげみたいと思う。尊敬するスティーブ・ジョブズ(アップルCEO)の次の言葉を信じて。「Macを作った一番の理由は自分が楽しみたかったからだ。」

webクラス集合写真